地下鉄サリン事件の時、私はイランを旅行中でした。
その頃のイランのホテルで国際電話をかけるにはフロントに申し込み繋がったら教えてくれて電話に出るという仕組み。
英語が出来れば部屋からフロントに頼む事も出来ますが無理なのでフロントヘ赴かなければなりませぬ。
それも時差の関係で朝6時ぐらいに。
それと私達は9時ぐらいには出発するので時間は限られています。
当時は電話事情も悪く繋がらないことも多々ありました。
さらに言えば部屋からフロントへ行くだけでもコートにスカーフと言う重装備が必要。
めんどい。
なにせ観光バスの中でさえスカーフは取っちゃいけないのです。
もちろん食事もコートを着たまま。
そんなこんなでやっと通じた母の第一声が「あんた大変な事が
」でした。
家に何かと思わず背筋が冷たくなりましたがサリン事件でした。
ツアーのメンバーには通勤でその路線を使っていると言う人もいました。
改めて犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
そして当時教団をつぶすのに反対したある団体も許せません。
さらにその教団の言いなりになったある政党も。
その頃のイランのホテルで国際電話をかけるにはフロントに申し込み繋がったら教えてくれて電話に出るという仕組み。
英語が出来れば部屋からフロントに頼む事も出来ますが無理なのでフロントヘ赴かなければなりませぬ。
それも時差の関係で朝6時ぐらいに。
それと私達は9時ぐらいには出発するので時間は限られています。
当時は電話事情も悪く繋がらないことも多々ありました。
さらに言えば部屋からフロントへ行くだけでもコートにスカーフと言う重装備が必要。
めんどい。
なにせ観光バスの中でさえスカーフは取っちゃいけないのです。
もちろん食事もコートを着たまま。
そんなこんなでやっと通じた母の第一声が「あんた大変な事が
」でした。家に何かと思わず背筋が冷たくなりましたがサリン事件でした。
ツアーのメンバーには通勤でその路線を使っていると言う人もいました。
改めて犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
そして当時教団をつぶすのに反対したある団体も許せません。
さらにその教団の言いなりになったある政党も。
















